世界遺産 ロルシュ(Lorsch) part1 『王の門』

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ヨーロッパ文化の真の起点となった街ドイツは『ロルシュ(Lorsch)』


ロルシュはドイツ中部に属するフランクフルトを擁したヘッセン州の
最南端『ベルクシュトラーセ郡』にある街で、
中世フランク王国のカール大帝時代に発展したロルシュ修道院
かつてありました。

そしてそのロルシュ修道院の楼門にあたる『王の門(Konigshalle)』は、
西暦9世紀に皇帝ルドヴィーコ3世によって建てられています。


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西暦9~10世紀にかけてこの地一帯を支配していたカール大帝は知識人を登用し
ロルシュ修道院を舞台にキリスト教と基礎とした学問研究と芸術活動推進にあたらせたため
ロルシュは学問と芸術の中心として栄えてました。

後に『カロリング・ルネサンス』と呼ばれる文化は、このカール大帝の文化振興政策実行が
残した貴重な文化遺産です。


世界の建築・街並みガイド〈4〉ドイツ・スイス・オランダ・ベルギー
エクスナレッジ
田所 辰之介

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因みにこのロルシュ修道院のラテン語教育は「カロリング小文字」と呼ばれる文字を生み出し
これは今日のラテン語を基礎とした小文字の基となっています。


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ロルシュ修道院『王の門』①
ロルシュ修道院『王の門』②


この修道院から多数の学徒が輩出され、今日のヨーロッパ文明の基礎が形成されることになりますが
西暦11世紀に消失し、建物の多くを失いました。

更にその後、プロテスタント※の反乱をきっかけにした『三十年戦争:1618~1648年』の影響で
1621年にはロルシュの建物のほとんどが引き倒されています。

※プロテスタントの由来についてはこちら↓
旅のノウハウ 由来編


やがてロルシュの保有権がマインツ大司教の手に戻ると、この一帯はカトリックが再び信仰する地域
として復興されますが、17世紀後半に太陽王ルイ14世(ブルボン朝最盛期の王、妻は有名なスペイン王フェリペ4世の娘マリア・テレサ)が巻き起こした戦争(1679~1697年)の影響で、今度は周辺の村々全体が廃墟と化し、
ロルシュ修道院の建築物はフランス軍によって再び消失の憂き目にあっています。

(因みに無傷で残った区画は、第一次世界大戦前にタバコ倉庫として使われていました

『王の門』は創建時を伝える唯一の遺構であり、旧修道院はカロリング朝時代の貴重な遺構として
1991年にユネスコ世界遺産に登録されています。


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ユネスコの紹介ページ


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ロルシュ修道院『王の門』③
ロルシュ修道院『王の門』④

【参考文献】
(株)毎日コミュニケーションズ 『世界遺産ビジュアルハンドブックブック⑥ ドイツ(1)ロマンティック街道とその周辺(ドイツ南部)』





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この記事へのコメント

2009年06月23日 23:12
お友達有難う御座います。
SMAPの事やSMAPの慎吾くんの事しか書かないですよ・・・。時には、子供のことです。
凄いですね。凄いしか言えないけれど・・。
これから、宜しくお願い致します。
2009年06月23日 23:34
mikoさん
こちらこそよろしくです。

また再開されたとき宜しければ遊びにきて下さいね

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