ミラノ(Milano) part5 世界遺産 『最後の晩餐とルネサンス』

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イタリアはミラノの『サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Santa Maria delle Grazie)』の食堂壁面に描かれているルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の傑作『最後の晩餐

細かい説明は要らないと思いますが、この場面はキリスト教新約聖書に記載されいる出来事の一つで、死を悟ったイエス・キリストが処刑前夜に、決別のため12人の弟子(12使徒)と共に摂った夕食を表わしています。

↓世界遺産の名画で部屋を飾っては如何でしょうか?


因みに正教会ではこの出来事は『最後の晩餐(さいごのばんさん)』とは言いません。
いわゆる『晩餐』という行為はキリストが復活した後に弟子達と行われており、現在に至るまで聖体礼儀として教会に継承されていることから『最後』のものではないとされています。

故に、正教会では『最後の晩餐』ではなく『機密制定の晩餐』と呼ばれています。

更にこの『晩餐』の模様が現在のミサ(Mass:英語,Missa:ラテン語)の原型と言われています。



『最後の晩餐』は1495~1497年に作成されたとする説が現在有力で、その痛みは激しく1726年の修復から現在まで6回もの修復がされています。特に近年の1977~1999(5/28)年の修復は大規模でテレビなどのメディアに多く取り上げられていたため、記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。

1497年に完成した『最後の晩餐』は、フレスコというこれまで2000年以上も歴史のある伝統的な壁画の技法をレオナルド・ダ・ヴィンチが嫌ったため、当時としては最新の技法を駆使して描かれました。

ちょっとためになる話 語学編 part5 『フレスコ (fresco)』

レオナルド・ダ・ヴィンチは細かい技法を好んだため、大雑把なタッチとなり易いフレスコ技法に我慢ができなかったといわれています。
(壁画には耐用年数を長くするための耐水性が非常に重要で、フレスコ画は塗りたての生乾き状態である漆喰(しっくい)に、水性絵の具で描くことで、その乾燥とともに耐水性を生じます。
しかし逆に漆喰が乾燥するまでに絵を描く必要があり、どうしても筆のタッチが大雑把になり易いという欠点も同時に併せ持っています。)

そこでレオナルド・ダ・ヴィンチは最新技法のテンペラ(Tempera,ラテン語のTemperareを語源とする)を用いることを考えました。
樹脂を混入した漆喰で壁面を下塗りした後で、白い顔料(鉛白)をひいた上にテンペラ絵の具で絵を描くことで、漆喰の乾燥に気を取られることなくゆっくりと細かいタッチで描いたといわれています。

しかし、この技法は壁面に絵の具を定着されることができず、完成から10年を経ずして壁面に亀裂が入り、絵の具がボロボロと剥がれてしまうという致命的な欠点を併せもっていることが後に分かりました。

したがって、『最後の晩餐』は原型を留めないほど痛んでしまい、更に複数回の修復を経た結果完成した当時のオリジナルとは似ても似つかないほど変化した絵となっています。

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ウィーンはミノリーテン教会(Minoritenkirche)の祭壇に飾られているレプリカ
※ミラノにある本物は撮影不可のためこちらを掲載

Schwedenplatz なんやらな?ウィーン館

レオナルド・ダ・ヴィンチが伝統的な壁画の技法を用いなかった背景には、イタリアが当時ルネサンスという一大ムーヴメントを迎えていたことも関係していると思われます。

ルネサンスは『再生・復興』を表わす言葉です。

キリスト教は神が主体です。基本的には『現世では苦しい思いをするが、その中で良い行いをすれば、死後は救われる』という考え方を元にしています。

キリスト教の教義に縛られていた中世の人々の中から、『宗教を信仰することも尊くて良いが、昔人間はもっと生き生きと明るく暮らしていたから、現在をもっと楽しむことの方がより大切ではないか』という気運が徐々に高まりを見せます。
やがて、それ以前のギリシャローマの古典文化を見直し、人間と現世を主体とする思想から個人の自由や価値が自覚されて精神開放に至ります。
まさにルネサンスは現代に通じるヒューマニズムの原点となった文化といえるでしょう。

そのようなムーヴメントの起こりからレオナルド・ダ・ヴィンチは伝統的な技法を重視するよりも、より革新的な技法での自己表現を大切にしたかったのではないかと推測されます。

レオナルド・ダ・ヴィンチと同様にミケランジェロ・ブオナローティラファエロ・サンティなどの名を残す巨匠もルネサンス期の芸術をいう場で活躍をしていましたが、この時代は芸術だけでなく科学技術でも『火薬』『羅針盤(らしんばん)』『活版印刷』という世界3大発明を生み出すという飛躍的な進歩をみせています。

【補足】
3大発明の内純粋に欧州で生まれたのは『活版印刷』のみで、『火薬』は中国で発明されたものが欧州で改良されてから広く伝わり、『羅針盤』も同じく中国で元々生まれたものがイスラムを経て欧州で広まっています。


このようなルネサンスは欧州各地で広がりをみせますが、何故先ずイタリアで開花したのでしょうか

当時イタリアの諸都市が東方貿易(レヴァント貿易)を通じていて異文化に触れる機会が多く、ビザンツやイスラム世界に伝わりを見せていた古典文化(ギリシャ,ローマ)や先端技術をいち早く取り入れることができていました。

ビザンツ帝国の滅亡後、イタリアに亡命した学者達によりギリシャ,ローマの古典文化が逆輸入されたこと、また当時のイタリアが国家分裂しており教会権力の衰えから対抗する気運が高まっていたこと、そして各イタリア諸都市には交易など※で豊富な財力を有していたことなどの複数の新しいムーヴメントを起こす好条件が偶然揃ったため、ルネサンスはイタリアを中心に開花したのです。

※他に十字軍の遠征などでイタリア諸都市が経済的に潤っていたことも挙げられます。

また芸術は一般には生きていくためにはあまり必要とされず、その作品を評価して金を出すパトロンが必要であるが、十字軍の遠征や各国との交易により豊富な経済力で発展した、後にメディチ家フィレンツェの大富豪)のような大富豪となる商人が芸術に理解を示したこともルネサンスを開花させた大きな要因と言えるます。

【サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会】
住所: Piazza Santa Maria delle Grazie 2, off Corso Magenta, Sant'Ambrogio, Milan
交通: 地下鉄Cadorna駅下車
電話: 02/89421146
時間: 火曜~日曜日8:00~19:30(予約要) 最終入場18:45
拝観料:教会は無料、最後の晩餐はEUR6.50(予約料+EUR1.50)

【参考文献】
株式会社大創産業発行 「ウラ」からのぞく世界史
株式会社青春出版社 世界史の舞台裏
株式会社青春出版社 この1冊で日本史と世界史が面白いほどわかる!









↓レオナルド・ダ・ヴィンチといつでも会える♪


リヴィエラの丘の金曜日の晩餐?イタリア・ラパッロ在住記
コスモヒルズ
坂 洋子

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この記事へのコメント

2009年07月27日 17:46
「最後の晩餐」の元の色彩と今の色彩って同じなんでしょうかね。
やっぱり何回か修復していると色も変わってきそうなきがしますけど。
2009年07月29日 01:26
色彩も全然変わってるでしょうね。
オリジナルの色は同じにはつくれないと思いますよ。
皮肉ですね。
2009年07月29日 08:34
「最後の晩餐」イタリアで見てきましたよ。
絵と世界史について全く知らなくても感動しましたよ。
イタリアに行ってメディチ家の話をガイドさんから聞いて面白いと思い本を読みました。
2009年07月31日 00:15
ひろりんさん。

メディチ家の話は興味深い話多そうですね。

機会がありましたらネタに書きたいと思います。

よかったらまた遊びに来てくださいね。
2009年07月31日 19:36
宗教は厄介ね~。
本来は、人を救うもののはずなのに・・。
マリア様は処女では無いし、
キリストに妻がいたことも判明したし、不貞を働いた女の命を救ったりもした。
なのに、なぜ、聖書は後から、
都合のよい内容に変えられるのでしょうか?
イスラム教も、仏教も、
本来の教えとは違う内容で、人にモラルを植え付けたりしますよね(?_?)
2009年08月09日 12:29
ルネサンスからバロックへと移り変わる時期の宗教建築に興味があり、イタリアに行った時は教会ばかり見に行き、連れに「もう教会は勘弁して」と言われた記憶があります。
建築だけでなく絵画もそうですが、ゴシック様式の平面的で様式的な表現法から、一点透視の遠近法やだまし絵的な表現方法が発見されて、人間の五感感覚を重視していくようなったルネッサンスの芸術には、「表現」を神を崇めるツールではなく、人間を再発見するための喜びと捕えていった、時代の息吹のようなものを感じます。
抽象概念とコンセプトに走った現代アートより、この頃の芸術のほうが、よほど人間らしく感じるのは、私だけでしょうか。
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