ワーテルロー(Waterloo) part1 『ナポレオン(フランス軍)の敗因』

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時は1815年、欧州の運命がかかっていたと云われるナポレオン最後の『ワーテルローの戦い』。
(主戦場は現在ライオンの丘(Butte du Lion)のあるラ・ベル・アリアンスでありますが、後にイギリス首相となるフランス軍を打ち破ったウェリントン公により司令部を置いた近郊の村落『ワーテルロー』の名をとって一般的にはこのように呼ばれます


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ウェリントン公アーサー・ウェルズリー(1769-1852)


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2回目の欧州ドライブを終え帰国しました。皆さんこれからもよろしくお願いいたします。
※今回当初の予定には全くなかったのですが、ベルギー入国中に無性にワーテルロー古戦場跡に行きたくなり、オランダのマーストリヒトから約1H車を飛ばして訪れてきました。道を親切に教えてくれたベルギー人の方に感謝します。

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ロシア遠征に失敗したナポレオンはエルバ島に追われていましたが、1815年3月に脱出した後パリに向かい、皇帝の座に再び就きました。


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ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)


この出来事に欧州の国々は警戒し第七次対仏大同盟(イギリス,オランダ,プロイセンetc)が形成されることとなります。
ナポレオン率いるフランス軍はこの動きに再び対抗すべく、北上してベルギーに進軍。現ベルギーの首都ブリュッセルに程近いラ・ベル・アリアンスで対仏連合軍と6/18に対峙しました。前哨戦である2日前(6/16)のリニーの戦いと併せると全軍総勢約30万。これが史上名高いワーテルローの戦いとなります。

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これまで快進撃を続けていたナポレオンはこの戦いで敗北し、以後歴史の表舞台から完全に姿を消すことになりますが、一体敗因は何だったのでしょうか

この戦いにおけるフランス軍の戦略は、プロイセン軍が対仏連合軍本体に合流する前に別働隊で徹底的に叩き、その後、士気の下がった対仏連合軍本体を撃破するというものでした。

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戦略通り、ワーテルローの戦いの2日前の6/16、グルーシー元帥率いるフランス軍は先ず連合軍と合流していないプロイセン軍を攻撃し、これを敗走させます。そして退却する軍隊を壊滅させるべく3万の兵で追撃しますが、ここで誤算が生じて振り切られてしまいます。

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そして翌日6/17またも天命なのかフランス軍には誤算の雨が降り、地面がぬかるんだ状態の6/18に決戦当日を迎えてしまいます。ナポレオンは砲兵出身で、機動力を重視した陸の戦略が当時のフランス軍の最大の武器でした。(諸外国の軍人は『ナポレオンはまるで大砲を銃のように扱う』と恐れていたとされています)
地面の状態から得意の砲兵隊による戦いが思うようにできないことを悟ったナポレオンは、部下の進言から戦闘開始を昼過ぎまで延期することに決定します。

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この間、プロイセン軍の合流を待ち望んでいたイギリス軍はフランス軍の動きを察知し、前線に落とし穴を用意して、万全の防御体制を敷いていました。そして正午過ぎにやっと戦闘が開始されましたが、やはりまだ地面のぬかるみが残っており、フランス軍は砲兵隊の動きは鈍く思うような攻撃ができませんでした。またネイ率いる騎兵隊の突撃も前線の落とし穴に阻まれるなど、兵力を消耗させてしまいます。それでも仏軍の中央と右翼の各部隊はイギリス軍左翼のパペロットを陥落させ、イギリス軍を混乱に陥しいれます。またイギリス軍の前哨拠点ラ・エイ・サントを陥落させ、19時頃にイギリス軍を壊滅させるべく、切り札の老親衛隊を投入させますが、イギリス近衛部隊の激しい射撃の前に撃退されてしまい、無敵を謳われた親衛隊の敗北にフランス軍の士気は低下してしまいます。

そしてここでフランス軍の最大の誤算が生じます。

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体制の立て直しを図りたいフランス軍は、プロイセン軍を攻撃していたグルーシー元帥率いる別働隊の合流をまっていましたが、そこにやってきたのは、仏軍ではなくなんと2日前に徹底的に叩けなかったプロイセン軍。

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フランス軍の側面へ猛攻をかけられ、ロボー軍団が撃破されると、新たな敵を目の前にしたフランス軍は総崩れとなりついに敗走、勝敗が決しました。

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因みに最後まで戦場に残った老親衛隊はフランス軍の敗走を勇敢に援護しました
しかし、最終的には包囲されてしまいます。ここで、対仏軍は降伏勧告を行いましたが、これを蹴ったためにその多くが壮絶な戦死を遂げています。そして、プロイセン軍参謀長のグナイゼナウはとどめの夜通し追撃を行い、フランス軍を完全に崩壊させたのです。

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したがって、フランス軍は
■前哨戦でプロイセン軍を壊滅できなかった
■雨で砲兵隊が機能しなかった
■イギリス軍の落とし穴作戦に引っかかった
■無敵を誇った親衛隊が敗退した
という複数の予期せぬ誤算がポイントとなり、敗退したのでした。

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ただ、この『ワーテルローの戦い』で仮にフランス軍が勝利していたとしても、対仏大同盟連合であるロシア帝国, オーストリア帝国,スウェーデン王国らが残っており、『百日天下』が数ヶ月伸びるだけであるとみられています。


しかし、フランス革命戦争に端を発したナポレオン戦争における連戦連勝ナポレオンの快進撃の原動力はどこにあったのでしょうか

それは軍の精強さにあったと云われています。
ナポレオン戦争では、多くのフランス人に「フランス革命によって手にした土地を失いたくない」という結束力がありました。戦いに敗れれば王政復古し、亡命していた貴族らが戻ってきて折角手にした土地を取られてしまうと危惧していました。
したがって、人々は必死になって戦ったのです。

士気が高いということは飛躍的な機動力を生みます。
ナポレオンは砲兵出身ということもあり、陸戦を得意としていました。軍事行動において軍隊のスピードを最重要としていたナポレオンは、戦場に常に敵軍より早く到着することを念頭に置いていました。そして敵軍がまだ揃わず、準備ができていない状態で先制攻撃を加え、疎らの個別部隊の撃破に集中して主に勝利を得ていました。

対仏連合軍といっても完全な一枚岩ではないため、敵の弱点を見抜き、隙を見つける能力とその行動力に秀でていたとも云えます。

また、その驚異的な機動力の背景には人心掌握もありました。
フランス革命の精神は『自由と平等』。当時フランスこそ革命に成功して、貴族・領主の抑圧から開放をしていましたが、それ以外の国々はまだ抑圧されたままでした。したがって、『圧制から民衆を解放する』という精神に、敵国の中にも共感し協力する動きがあったため、フランス軍は武器や食料を現地調達できました。

この点で他国と比較して格段に身軽であったフランス軍には爆発的な機動性が生まれそれが最大の武器だったのです。

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【ライオンの丘:Champ de Bataille de Waterloo - Butte du Lion】
住所 Route du Lion 315, 1420 Braine-l'Alleud
TEL 02-3851912
FAX 02-3850052
時間 9:30~18:30(4~10月),10:00~17:00(11~3月)
拝観 2.5ユーロ
    ※「パララマ館」「蝋人形館」「映画」との共通券で8.7ユーロ

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【ビジターセンター】
Champ de Bataille de Waterloo - Centre du Visiteur
住所 Route du Lion 252-254, 1420 Braine-l'Alleud
※ライオンの丘と隣接していて各種券やグッズ・お土産を販売。

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【参考文献】
株式会社青春出版社 『世界史の舞台裏』









【雑学】
現在古戦場跡のラ・ベル・アリアンスには通称『ライオンの丘(Butte du Lion)』が作られています。そしてその頂上にはフランス軍の大砲を鋳潰してつくられたライオンの像があります。因みにこの戦いの戦勝国側のウェリントン公はこの丘を見て『なんて事をするのだ。私の戦場が台無しではないか。』と言ったと云われています。

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また当時世界経済の中心だったイギリス市場は、その座をフランスに奪われるのではないかという危機感からこのワーテルローの戦いに注目していました。その中で、フランス軍敗北の報をいち早く入手した当時銀行家であったネイサン・メイアー・ロスチャイルドは、巧みな株式売買術でこの時、巨額の利益を得ます。そして、その資金を基に現在のロスチャイルド財閥の基礎を築いたのです。


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この記事へのコメント

2009年10月04日 01:15
こんばんは、ナポレオンの敗因勉強になりました。ぐって
欧州ドライブ羨ましいです。
昨年中国に少し滞在してましたが、
中国は国際免許を持ってても
使えないみたいですね。
またおじゃましますね。
2009年10月04日 17:13
donaugoさん

ドイツ,オーストリア,ベルギー,スイスについては日本より交通量・信号が少なくまたマナーが良いので運転し易い国です。

オランダは自転車優先の国で街中はかなり手こずります。

フランス・イタリアはマナーが悪いのでおススメしません。

中国については香港が国際免許で運転可能ですが、こちらもまだまだマナーが悪いので私も走る気になれません。

良かったらまた遊びに来てくださいね♪

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