大阪市中央区 part1 『大村益次郎終焉の謎』

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今月5月3日は日本近代陸軍の祖として知られる『大村益次郎(村田蔵六)』が誕生した日です。その大村益次郎終焉に纏わる謎をご紹介します。

1825年(文政8年)5月3日大村益次郎は周防の国鋳銭司村(1956年(昭和31年)に山口市へ編入)の医者の家に生まれています。
医者でありながら学問に励む内に兵学も身に付け軍学者として藩士として迎えられ、第二次長州征伐で長州藩を勝利に導いたり、戊辰戦争での江戸の彰義隊征伐など倒幕運動に大きく貢献し、明治新政府の兵部省大輔(ひょうぶしょうたゆう,次官職に相当)に就任します。
しかし、大村の急性な軍隊制度の西洋化と西洋風の国民皆兵という考えにのっとった徴兵制度の主張が特権や誇りを捨てきれない元士族の反感を買い、1869年(明治2年)9月4日不満分子に京都で襲撃を受けてしまいます。

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↓大村益次郎の半生について詳しく知りたい方はこちらの文献も参考にして下さい。
大村益次郎?軍事の天才といわれた男 (PHP文庫)
PHP研究所
稲葉 稔

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大村益次郎伝
鳥影社
木村 紀八郎

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【補足】
刺客明治維新前の幕府の長州征伐から軍隊を組織して幹部となっていた尊王攘夷派の神代直人を中心とした者たちでした。
大村は京都で実地検分を終えて、木屋町通りの宿に帰宿して食事をしていたところを襲われ、同行していた2人と共に切られています。この時顔や脚を切られ重傷を負いましたが、その時とっさに1人が行燈(あんどん)を消し『大村は俺だ』と叫び身代りを務めたため、大村は階下にある風呂場で残り湯の中に身を潜めて、一命をとりとめます。

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しかし致命傷は負わなかったものの脚の治療は京都では無理であると判断され、先ず山口藩邸に移送されます。そして数日間の安静後、大村は治療のため大阪にあった新政府の軍用病院であった浪華仮病院に運ばれます。そして更に切られた右脚は敗血症で膿み重傷のため延命には切断しかないと診断されます。

【補足】
幕末当時の風呂は現代と比較すると衛生状態が悪かったために、刺客から隠れた際の残り湯のバイ菌が脚の傷口に入り敗血症を患ってしまいました。

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緒方惟準


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【補足】
この浪華仮病院は緒方惟準(緒方洪庵次男)を院長とし、オランダ人医師アントニウス・ボードウィン(主治医)や高安道純といった当時著名な医師がいました。

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しかし、ここで大きな問題が生じてしまいます。
なんと脚切断という時の政府の首脳陣の大手術には、当時の決まりとして勅許が必要であったのです。

そのため、東京⇔大阪で繰り返し遣り取りを行っている内に状態が日に日に悪化し、大村はとうとう約2カ月後の同年11月5日に死亡してしまうという不幸な事態を招いてしまいました。

最後の看病には日本最初の女医として知られる楠本イネシーボルトの娘)やその娘婿らの医師があたっています。

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襲撃の犯人は直ぐに捕えられ、弾正台(当時の警察機構)が処刑を決定します。
しかし処刑執行日の当日、京都弾正台長官の海江田信義(かいえだのぶよし)が処刑停止命令を出します。

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【補足】
海江田信義は薩摩藩出身の元々は攘夷論者(外国人襲撃事件として名高い『生麦事件』にも関与しています。)で、大村の西洋被れを快く思ってなかったと云われています。

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海江田信義が処刑停止を命じたのは、未だ司法制度が混乱していた時代であり、あくまでも手続きや書類上の不備が見つかったからとされています。
しかし、海江田信義自身は襲撃実行犯の1人と親交があり、その理由は怪しいと当時から云われていました。

それ故世間では海江田信義が襲撃犯の処刑を延期して大村益次郎への憂さ晴らしを行い、更に襲撃事態も海江田が陰の黒幕ではないかと長きに渡り噂されていたと云われています。

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兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑
住所:大阪市中央区法円坂2(上町交差点)
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【参考文献】
『知られざる日本史あの人の「幕引き」』 (株式会社青春出版社)
『幕末維新・あの人の「その後」』『日本史未解決事件ファイル』PHP研究所
『歴史教科書に載らないネタ』 日本博学倶楽部(PHP研究所)
『誰かについ話したくなる幕末維新のすべらない話』 歴史雑学研究会(株式会社リイド社)

大村益次郎?物語と史蹟をたずねて (1976年)
成美堂出版
土橋 治重

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この記事へのコメント

qoo
2010年05月26日 13:03
いつも気持ち玉ありがとうございます。馬びっくりしました。歴史関係がお好きなんですね☆興味を持ってみたいけど、私にはサッパリで、悲しくなります。
2010年06月05日 18:54
歴史の先生ですか
2010年06月05日 23:54
qooさん
こんにちは。

歴史は色々なことが学べて面白いですよ♪
ちょっとしたエピソードを探してみてはいかがでしょうか?
2010年06月05日 23:57
グッチさん
こんにちは。

コメントありがとうございます。
素人のブログですが、良かったらまた遊びに来て下さい。
S子
2010年08月11日 14:30
歴史に纏わる、隠れたエピソード。面白いですね。
亡夫でしたら、毎日楽しみに拝見しただろうと思います。早速、雄二さんの足跡を追ったかもしれません。
S子
2010年08月11日 14:32
御免なさい!
お名前間違えてしまいました。
2010年08月12日 22:34
S子さん
こんにちは。

本当に歴史は調べれば調べるほど面白い発見がありますね。その永遠の魅力が大好きです。

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