大阪市天王寺区 part1 安居神社 『真田信繁(幸村)最後の戦い』

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1615年の今月6月3日(旧暦では5月7日)は大阪夏の陣真田信繁(幸村)戦死した日です。宿敵徳川家康追いつめながらも後一歩及ばず壮絶な戦死を遂げたとされ伝説となった地『安居神社』を訪れてきました。

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真田信繁は主にその生き様や壮絶な最後から、昔から講談や物語等の主人公として語られることが多く、戦国時代の武将としては最も人気の高い人物です。
今回はその信繁最後の戦いをご紹介します

【補足】
信繁の別名は『弁丸』『源次郎』であり、江戸時代軍記物語『真田三代記』等(当の真田家が編纂した家譜においても『幸村』と表記されています。)がきっかけで『幸村』の名が広く使用されるようになっていますが、彼が生きていた時代の資料には『幸村』の名は見当たりません

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大阪冬の陣に続き信繁が豊臣方につき大阪城に入ったとの知らせを受けた家康は、先の戦いで煮え湯を飲まされた信繁を味方に引き入れるべく、信繁の叔父である真田信伊を使者として10万石(※信濃3万石とも云われています。)での徳川方への寝返りを促しますが、信繁はこれを「秀頼公との約束を破ってお味方に馳せ参じることは出来かねる」と忠義を尽くし拒否しました

簡単には心変わりしないとみた家康は、信繁に対して更になんと信濃一国を与えるという条件を提示します。

しかし、信繁はこの破格の好条件に対しても「10万石では不忠者にならないが、一国では不忠者になると思われるか!」と言い、家康の使者を怒鳴り追い返してしまったと云われています

そんな高い志も儚く、家康の謀略により大阪城は外堀だけでなく内堀も埋め立てられ、信繁は翌年の大阪夏の陣で絶望的な戦いを強いられることになります。

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戦いの流れは家康側に圧倒的に有利であったため、端から討ち死にを覚悟していた信繁は戦況を覆すには総大将家康を討ち取る以外にはないと考え、5月5日(旧暦)の夜密かに「後藤又兵衛(基次)」「毛利勝永」らと相談し、翌6日の払暁を期して、大阪城外の河内道明寺付近の隘路に於いて徳川軍を迎撃する作戦を練っていましたが、ここで信繁に大きな誤算が生じてしまいます

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【補足】
信繁は大野治長の籠城論では勝機は見出せないと出撃論を大阪冬の陣の時から主張していましたが、兄の真田信之が家康の東軍に属しているため、大野治長は信繁が寝返る可能性を考慮し信繁案を退けたと云われています

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昨夜の作戦通り5月6日当日道明寺で合流する筈が、信繁隊と毛利隊が濃霧に遮られ約束の時間に間に合わず遅参し単隊となった後藤隊は圧倒的な兵力差で徳川軍と当たることとなり壊滅してしまったのです
(この時後藤又兵衛は壮絶な斬死を遂げており、真田信繁同様にその最後の奮戦は後々まで語られています。)

信繁は翌日先の失策を償うべく3000の兵を引き連れて、天王寺口に程近い家康本陣正面の茶臼山に布陣し「座して死すより、俺はやる!」と奇襲戦法の突撃を決意します。

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信繁隊は鬼神の如く本陣目がけて捨て身の3度の突撃を繰り返し、1万3000の松平忠直隊や伊達正宗の大軍を壊滅寸前にまで追い込むなど家康本陣前の旗本部隊は次々に崩されていきました
更に毛利勝永の部隊が徳川方先方の本多忠朝隊を壊滅させ、その混乱の隙に乗じて信繁隊はそれらの背後に構えていた家康の本陣を襲い、長年の鬱憤を晴らすかのように野生の雄叫びをあげながら捨て身の猛攻を行います。

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そして終に家康のいる陣幕の中まで攻め入り馬印が倒され、流石の家康も危機的状況に陥りこの時ばかりは死を覚悟したと云われています。(『イエズス会日本年報』織豊期~江戸初期作成より)

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しかし多勢に無勢、真田軍は戦いに疲れ果て混乱の場を避けようと『安居神社』で傷の手当てをしていましたが、信繁は家康本陣前を守備していた越前松平隊の松平忠直の鉄砲頭西尾仁左衛門宗次によって逆に討ち取られてしまいました

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大阪の陣後、天下を粗手中に治めていた家康をあと一歩のところまで追いつめた信繁の活躍は、後世に語り継がれ、様々な伝記や講談が登場することになります。(猿飛佐助霧隠才蔵が登場する真田十勇士もこの活躍が元となり大正時代に立川文庫の作家が創作した物語です。)

そして、信繁はその鬼神のような強さと絶大な人気が故、大阪の陣では戦死しておらず、豊臣秀頼と共に薩摩まで落ち延びたとする俗説まで広く噂される程でした

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『雑学】
信繁自身は武田家の流れから自軍の強さをアピールし敵を恐れさせる赤備えの勇士」として非常に名高い武将ですが、大阪夏の陣では鎧兜一色は黒で統一されており、これは信繁の謎の一つとされています

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安居神社

住所: 大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24
最寄駅: 四天王寺前夕陽ヶ丘駅(大阪市営地下鉄谷町線)
電話: 06-6771-4932
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【参考文献】
株式会社 宝島社 『戦国武将 甲冑絵巻』
PHP研究所 『戦国武将「できる男」の意外な結末』
成美堂出版 『一冊で読む!戦国武将85人』
廣済堂あかつき株式会社 『史上最強決定!日本の英雄100人』
株式会社 一水社 『真説戦国武将最強は誰だ?』
株式会社双葉社 『戦国バサラ大名』
株式会社三笠書房 『戦国参謀 頭の使い方』

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