岐阜県岐阜市 part1 岐阜公園 『マスコミの脚色』

画像


旧百円札の肖像画が印象的な『板垣退助』。彼の残したと言われている今日有名な台詞には次のようなエピソードがあります。

画像


日本では『富国強兵』の名の下に国が大きく変換の時期を迎えた明治時代早々に政権を批判する勢力が存在していました。
この主な勢力は後に『西南戦争』や『佐賀の乱』等を引き起こす士族らや自由と平等を訴えた『自由民権運動』員です。
もしもこの反政府勢力が行動を起こさなければ、新しい時代を迎えた明治の日本は藩閥独裁政治が行われていたとも云われています。

画像


明治10年代後半は『自由民権運動』が最も盛んであった時代であり、その象徴的存在であった『自由党』が1881(明治14)年12月に結成されました。
その『自由党』の党首には、新政府との方針の差異により参議という地位を捨て下野していた『板垣退助(乾退助)』が就任します。

画像


その『板垣退助』率いる自由党員らは演説のため東海道を遊説して廻ってました。
彼らは各地の新政府の政策に不満を持っていた市民から行く先々で熱狂的な歓迎を受けます。

画像


しかし、1882(明治15)年4月6日遊説先であった岐阜の『新道中教院』で事件は起きました。
党首の『板垣退助』が暴漢に刺されたのです。

画像


画像


【補足】
『自由党史』にはこの事件の様子は次のように記載されています。
「行くこと二十三歩、たちまち一壮漢あり、その人々の中よりあらわれ、国賊と叫びつう右方の横合いよりおどりきたって短刀をひらめかして板垣の胸間を刺す」

画像


この時の暴漢は保守主義に傾倒し自由党を敵視していた当時28歳の小学校教諭『相原尚褧(あおはらなおぶみ)』で、相原は板垣退助が演説を終了して帰るところを刃渡り27cmにもなる短刀を振りかざして襲撃したのです。

画像


しかし、板垣は柔術を習得していたこともあり咄嗟に肘で当身を行って抵抗し、二人が揉み合いになったところに当時秘書であった内藤魯一が駆け付け、板垣は7箇所もの怪我を負いましたが一命は取り留めます。

画像


この騒動を聞きつけた全国の自由党員らは刀や鉄砲等で武装蜂起し、事件のあった岐阜に駆けつけます。
党員の過激派の中には暴動を起こそうとするものや名古屋城占領計画さえ謀るものもいたと云われています。

画像


画像


この事件の際、板垣退助は出血にうろたえる側近らに向かって「俺がこのまま死んでも、自由の精神がなくなることはないだろう」と言う意味の言葉を言い放いました。(板垣退助の回顧録より)
これを当時の側近らが板垣退助が発した言葉としてマスコミ各社に発表したのです。

画像


この事件後の新聞記事では「板垣退助死するも日本の自由は滅せざるなり」等、意味はほぼ同じながら表現が違ったり、更に犯人を一喝して叫んだとする新聞もあれば側近に向かって述べたとする新聞もある等まちまちとなっています。

画像


そして脚色こそされましたが、この報道をきっかけに自由党過激派は「例え板垣先生が死のうとも、我々の力で政府を打倒しよう」と唱えます。
しかし、板垣退助の傷が大事には至らなかったことが明らかになると自由党員らは安心し、騒ぎは時とともに収まったのでした。

画像


1908年に出版された『板垣伯岐阜遭難記録』では「板垣は死すとも自由は死せず」と記されており、また同本の別人が書いた序文でも「退助ハ死スト難モ自由ハ死セズ」となっており、この頃現在まで世間に知られている名台詞はほぼ同じ表現に落ち着いたとされて云われています。

画像


【補足】
板垣退助は暴漢に襲われた際、「いたいが~やきぃ早よう医者を」と叫んだとする説もあります。
どちらにせよマスコミによって脚色された事には間違いがないようです。

画像


-------------------------------------------------------
岐阜公園(新道中教院跡,板垣退助遭難の地)
住所:〒500-8003 岐阜県岐阜市大宮町1-46
電話:058-262-3951
時間:園内自由
交通:JR岐阜駅または名鉄岐阜駅よりバス15分
「岐阜公園歴史博物館前」下車徒歩1分
-------------------------------------------------------





画像


画像


【参考文献】
『たけみつ教授のホントは非常識な通説日本史』武光誠(株式会社リイド社)
『歴史の意外な「ウラ事情」』日本博学倶楽部(PHP研究所)
『親説 日本史99の謎』「歴史の真相」研究会(株式会社 宝島社)

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 16

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

2011年02月06日 21:17
「板垣退助死するも日本の自由は滅せざるなり」私でも知っている有名な言葉ですね。
岐阜へは何回か行きましたが、公園へは行っていません。
父の従兄弟の娘が、私と同年で田舎へ遊びに来た時仲良しになりました。
岐阜へも遊びに行ったにですが、何街だったのかも今は忘れて、父もその従兄弟も疾うに亡くなりました。その後の消息も分かりません。急に思い出して、涙がこぼれそうになるほど懐かしくなりました。すべては忘却の彼方へ過ぎてゆくのでしょうか?
私ごとを書いてごめんなさい。
よんちゃま!
2011年02月07日 10:36
歴史って・・・「作られている」ところがあるらしいから・・・今となっては「?」ですよね!(この前「聖徳太子はいなかった」・・・って TVで言っていたし・・・)
2011年02月12日 09:42
お久し振りです、ゆうじさん^^

マスコミは歴史だけでなく世の中の真実を歪めて伝えていることが多いと思います。

間違った情報に惑わされず、正しい情報をしっかり見極めていく必要がありますね^^

それからブログをお引越ししましたので、今度はそのブログから遊びに来ますね!
2011年02月14日 12:06
S子さん
こんにちは。

岐阜公園は金華山麓にある美しい公園です。
次に岐阜に行かれる時がございましたら是非訪れてみて下さいね。
2011年02月14日 12:09
よんちゃま!さん
こんにちは。

確かに聖徳太子は創られた偶像とする説が現在最有力ですね。
現在の歴史の教科書には業績は厩戸皇子のものとして登場しています。
2011年02月14日 12:14
カノンさん
こんにちは。

歴史は今やマスコミが作り出しているといっても過言ではないでしょうね。

云われるように私もそれを精査しれ見極める力が大切だと感じます。

この記事へのトラックバック

  • 岐阜公園 オレンジ色に染まるイロハカエデ

    Excerpt: 岐阜市の岐阜公園でイロハカエデが紅葉し、鮮やかなオレンジ色の葉が、散策に訪れた人たちの目を楽しませている。ヤマモミジも見ごろで、今週末まで楽しめるという。 Weblog: ローカルニュースの旅 racked: 2011-12-10 13:24