京都市北区 part2 臨済宗大徳寺派総見院 『濃姫の縁』

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織田信長の不遇な正室として有名な斉藤道三の娘『帰蝶(濃姫)』。彼女について書かれた当時の資料は少なくその生涯は謎に包まれていますが、近年お墓が発見されています。今回はその『帰蝶』の縁について紹介します。

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江戸時代に書かれた『美濃国諸旧記』によると『濃姫』の本名は『帰蝶』とあり、実際は『鷲山殿』と呼ばれたと云われています。
『濃姫(以下帰蝶)』は美濃出身の高貴な女性を表します。

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あまり知られていませんが、『帰蝶』は信長に嫁す以前に土岐頼純土岐頼武の嫡男とされる人物)へ一度嫁いでいます。
1546(天文15)年、斉藤道三は主君・土岐頼芸を促して対立していた前守護・土岐政頼(土岐頼純,土岐頼芸の兄)と和睦するため、娘の『帰蝶』を土岐政頼の元へ嫁がせました。

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このとき『帰蝶』は12歳で、正室というよりは人質の役割が大きかったと思われます。
この政略結婚で追放されていた土岐政頼は美濃へ戻ることになりますが、その土岐政頼は天文16(1547)年急死し、『帰蝶』は一反斉藤道三の元に戻ります。

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『補足』
土岐氏の血族関係は不明な部分が多く、土岐政頼,土岐頼純,土岐頼武,土岐盛頼は全て同一人物とする説さえも存在します。
また土岐政頼の急死については斉藤道三の暗殺だとも云われています。

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斉藤道三はその土岐氏に謀反を起こし美濃の盟主となりましたが、追放された土岐頼芸が尾張の織田信秀(織田信長の父)を頼ったために、今度は斉藤と織田の両家で争いが発生します。

その両家の和睦のために担ぎ出されたのが当時未亡人となっていた『帰蝶』で、1548(天文17)年織田家との和議の証として織田信長の元へ嫁ぐことになりました。

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斉藤道三の妻妾は数人います。
その中で最も有名な人物は稲葉一鉄(稲葉良通)の妹である『美芳野(みよしの,深芳野/生没年不詳)』です。
この『美芳野』は元々主君であった土岐頼芸の愛妾であり、『拝領妻』であったわけです。

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この『美芳野』が病死した後に迎えられた女性が『小見の方(おみのかた)』で、この『小見の方』こそ『帰蝶』の生母にあたります。
明智軍記』によると『小見の方』は明智光継の娘で明智光綱の妹とされています。
明智光秀の父も明智光継であるとされていることから、光秀が享禄元(1528)年生まれという事を考えると『小見の方』は明智光秀の叔母と考えられます。

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【補足】
『小見の方』は『美濃国諸旧記』によると、永正10(1513)年生まれの天文20(1551)年没で、39年の人生を歩んだとされています。

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即ち、『帰蝶』と明智光秀は従兄弟(いとこ)の間柄であったと思われるのです。

互いに年も近い事等から察すると二人は互いを意識する関係であった事も十分考えられます。
戦国の世でなかったのならもしかすると二人は結ばれていたのかも知れません。

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【雑学】
近年『安土殿』と呼ばれていた女性が『帰蝶』ではないかという説が有力視されています。
織田家の過去帳『秦巖相公縁海名簿』には、「養華院要津妙玄大姉 慶長十七壬子七月九日 信長公御台」とあります。
これが『帰蝶』とするならば信長の死から30年後78歳で逝去したこととなります。

そして現在は大徳寺の塔頭総見院に埋葬され眠っています。

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臨済宗大徳寺派総見院

住所:京都市北区紫野大徳寺町59
電話:075-492-2630
拝観:通常非公開(毎年春秋に一定期間特別公開)
交通:市バス12,101,204,205,206番で「大徳寺前」下車直ぐ
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【参考文献】
『戦国激女100人伝』 株式会社徳間書店
『織田信長101の謎』川口素生(PHP研究所)

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この記事へのコメント

2011年02月16日 16:27
初めまして。
とても分かりやすく丁寧な説明、恐れ入りました。グリーンフィールドさんのプロフィールリンクからこちらにお邪魔しました。
海外によく行かれているとのこと、良かったら私のブログにも遊びに来てくださいね
2011年02月16日 23:09
DONさん
こんにちは。

好き勝手に書いている拙いブログですが、読んで頂いてありがとうございます。

これから遊びに行きますね♪
2011年02月19日 11:00
今日は~~♪
複雑な人間関係良く解りました。

その時代なりに、秘めなけらばならなたった想い?そこから素敵なストーリーが生まれそうですね。時代小説は苦手ですけれど…
思いを巡らすことは自由ですもの。
今、此方の新聞小説の”親鸞”続編(五木寛之)面白いです。良くここまで書けるなって感心しながら、読み物として読んでいます。
ゆうじさんでしたら、忠実に史実を追うのでしょうね。
2011年02月21日 10:45
S子さん
こんにちは。
いつもコメントありがとうございますね。

濃姫と明智光秀に男女の関係があったという説は先日TVでも取り上げられ私も今回のネタを書くきっかけとなりました。

織田信長は側室の吉乃がお気に入りであり、濃姫が斉藤道三像を織田家と斉藤家の関係が悪化していた道三の一周忌の時期に寄進し、また正室にも関わらず信長の葬式には参列せず、信長一周忌に妙心寺で不自然に取り仕切った等の史実から察するとこの説は真実味が強いと感じます。

S子さんも色々と思いを巡らせてみて下さいね。
よんちゃま!
2011年02月21日 13:49
昔は たった12歳で嫁いで 行ったんですね!(しかも・・・「人質」?「政略結婚」?で・・・)驚きと その時代の人の「根性」には 感心してしまいますよね。」(すべて「親に言いなり」・・・でしょうけど・・・・) 
2011年02月25日 21:50
よんちゃま!さん
いつもありがとうございます。

私も乱世の時代で仕方の無かった事とはいえ、その根性は現代人とは比較にならない程凄く、大変であったと思います。

それを考えると少々の障壁などを気にしていた自分はなんと情けない人間なのかと思うこともありますね。
beetle
2011年02月28日 08:16
濃姫は気性がが強い方と聞いてますが何せさらに気性の強い信長に嫁いだのが悲劇の始まりと思ってます。
しかし又勉強に成りました!ありがとう・・・・
2011年03月01日 00:45
beetleさん
こんにちは。

お役に立てて本当に嬉しいです。
濃姫は有名な割りに兎に角謎が多い女性でもあります。
気性が荒いと思われていますが、それすらも創られた偶像なのかもしれませんね。
kitilyou
2011年07月29日 08:49
私も、今年、総見院に行き、憧れの濃姫様?にお会いしてきました。吉乃さん最愛説とは異を唱える濃姫派ですが、道三娘として、婚姻により信長正室として美濃をもたらした功績と、美濃衆を守り抜いた力量はもっと評価されたいいと思います。ともかく”安土殿”の存在が認められ始めたことは、幸せな限りです。歴史は万華鏡、見方でいろんな景色が見える、でも真実は一つだと思います。
2011年08月27日 11:31
kitilyouさん
訪問ありがとうございます。

濃姫派ですか。初めて聞きました。
歴史に真実は一つでも、我々の知る歴史は強者によって作られたものでしょうからね。

ネタと浪漫は尽きません。

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