香港(Hong Kong) part1 九龍寨城公園 『東洋の魔窟』

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金融の一大中心地『香港』。この都市は今でこそ映画、美食、ショッピング等多くの魅力を備え、沢山の観光客が訪れていますが、嘗ては『東洋の魔窟』と呼ばれていた九龍城砦が存在しました。

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九龍城といってもその実態は城ではなく、老朽化した10階建て程のビルが無数に立ち並んび、無計画に上へ上へと増築していったビル郡でした。

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ビル同士の隙間はなく、隣接するビルの外壁を自分の部屋の壁にしてしまうことも珍しいことではありませんでした。
まさに自己増殖してできた巨大なスラム街だったと云えます。

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この高層スラムアパートが集まってできた九龍城砦の大きさは2.6ヘクタール(東京ドームの約半分)で、そこには最高5万人もの人が暮らしていました。

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【補足】
これら高層アパートの1階部分には『牙科』という看板がかかっている所謂歯医者が多く存在しました。
それも短時間で格安に治療でき尚且つ腕は確かという事で、一時は日本から治療ツアーもあった程です。
しかし、この歯科は第二次世界大戦後の混乱や知識層が抑圧された『文化大革命』時に中国本土から国境を越えて逃げてきた人々が開業したもので、中国国内でのみ有効となる免許を持った歯科医らの違法診療でした。

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このエリアでは、食堂や食材加工店を始めとして様々な店舗や工場、そして映画館もあり活気付いてはいました。
しかしその一方で、アンダーグラウンドの世界を生きる人々が引き寄せられアヘンや売春、賭博といった違法行為も公然と行われていた時期もあったと云います。
またゴミと下水の悪臭が漂うスラム街の一面も持ち合わせていました。

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この『魔の巣窟』を巡るバスツアーもあった様ですが、乗客はバスからただ眺めるだけで、決して下車することは無かったと云われています。

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それもその筈、九龍城砦は香港の国際空港の直ぐ近くに位置していましたが、香港にも中国にも属さない場所となっており、警察も立ち入れない全くの無法地帯で、「部外者が迷い込んだら最後、生きて帰れない」という噂や「新婚旅行の新妻が誘拐されて中東に売り飛ばされた」等の都市伝説が盛んに囁かれる場所だったのです。

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【補足】
この魔窟では中国の裏社会で暗躍するマフィアが存在していましたが、「住人には危害を加えない」という暗黙のルールがあった為、不思議な事にそれなりに秩序は守られていたと云われています。

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元々この場所には10世紀の宋王朝の頃に、当時悩みの種であった海賊からの侵略を防ぐ為に軍事要塞が存在しており、清朝が成立してからは、軍事的目的の為に砦が築れていました。
18世紀にイギリスが行ったアヘン貿易による清国のアヘンの大流行をきっかけに、当時の清国はイギリスとの貿易を全面禁止とします。

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それに憤慨したイギリスは清国に大量の軍隊を投入し、圧倒的な軍事力を持ってこれを屈服させます。
これが『阿片戦争』です。

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この出来事から1898年に清国から香港島・九龍に隣接する新界地区がイギリスに99年という永きに渡り租借される事となりましたが、この時九龍城砦はその租借に含まれず除外された為、中国の飛び地扱いとなりました。

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清朝滅亡後は、それまで常駐していた兵士や役人が追い出されるかたちとなり、この場所は香港,中国,イギリスの何れの管理も及ばない『三不菅(無法地帯)』の土地となってしまいます。

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そして第二次世界大戦中の1941年に旧日本軍が占領し、この九龍城砦は近隣の啓徳空港を拡張する為の資材として城壁が使われる事になり、埋め立て用に取り払われた後一反平地となりました。

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やがて廃墟となったこの砦の跡地に、終戦後中華人民共和国が成立して、香港に膨大な数の難民が押し寄せると、九龍城砦跡地一帯には彼らの住まいとして1950年代にバラックが立ち並び、1960年代にはこれが10数階建ての高層ビルと化し、鉄筋コンクリート製の『ペンシルビル』と呼ばれる魔窟となるのでした。

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【補足】
この魔窟はあまりにも無計画に工事が進んでしまった為に、迷路の様に入り組んでおり、建物の合間を縫うように通る路地は、高いビルに囲まれて昼間でも日が当たらず不気味な気配が漂っていました。

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そもそもこの場所の近隣には空港がある為、本来であれば法律上6階までの建物しか認められない筈でしたが、この無法地帯はお構いなしと言わんばかりに増築し、最も高いビルは14階のものもあったのです。

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その『東洋の魔窟』と呼ばれこれまで黙認されてきた九龍城砦も1997年の香港返還が近づくと、中国政府が積極的に介入する事になります。

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抗議の垂れ幕が幾つも掲げられるという異様な空気の中、数回に渡って住民の強制退去実施され最後には警官隊を投入し、1993年にはようやく建物の取り壊し作業が開始されるまでに至ります。

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現在この場所は九龍寨城公園として整備され市民の憩いの場所に生まれ変わっています。
公演の一角には資料館があり、九龍城砦解体時に発見された石碑や大砲が展示され、嘗ての面影は無くなってしまいました。

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近隣の商店街には、今日では広東料理を始めとして、西洋料理,日本料理の店まで沢山のレストランが立ち並び、今では『東洋の魔窟』から『食城』とも呼ばれる人気のグルメスポットとなっています。

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九龍寨城公園(Kowloon Walled City Park)

住所:香港九龍東正道(Tung Tsing Road,Kowloon,Hong Kong)
電話:(852) 2716 9962
交通:MTR観塘線『樂富(Lok Fu) 駅』より徒歩約15分
MTR觀塘線『九龍塘駅』よりバスで終点九龍城下車
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【参考文献】
『あっ!と驚く世界「国境」の謎』島崎晋(PHP文庫)
『世界を震撼させた衝撃写真』歴史ミステリー研究会(株式会社 彩図社)

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この記事へのコメント

2011年05月06日 00:36
密集した古いビル群、すごいですね。
なんだか、圧倒されてしまいました。
火災が起こるとパニック状態に陥りますね
2011年05月06日 02:31
GAKUさん
こんにちは。

無計画に増改築し続けた結果でしょうね。
今となってはもう見る事ができませんが、当時は想像を絶する無法地帯だったと思われますね。
2011年05月06日 08:25
隣接するビルの外壁を自分の部屋の壁にしてしまうことも珍しくないって・・・・・・えーっ!?
何でもアリですねー。いやはや、絶句。
2011年05月06日 17:44
返還よりずっと前の、香港へ行きました。
このあたりは怖くて、車の窓から眺めて通るだけでした。魔窟といった感じかしら?各家の窓から、直角に洗濯ものを干すんですよね。満艦飾といった言葉がぴったり…
貧富の差が有り過ぎると思いました。
セントラルや九龍のホテルやデパートは立派でしたが…
でも香港は、美味しいお料理いっぱい食べられましたよ。Victoria bayの眺めも、夜景も綺麗でした。
S子
2011年05月06日 17:53
そうでした。ビルとビルの間を通って発着する飛行機。怖かったです。
英領だったので、巷は英語、広東語、日本語も溢れていました。その中でも女性の広東語のけたたましさには驚きましたけれど。
2011年05月08日 12:55
DONさん
コメントありがとうございます。

そうですね。
どうも無法地帯ならではの何でもアリの世界だったようですね。

でも意外と自治されていたとの話もあり、本当であれば凄い事です。
2011年05月08日 13:45
S子さん
こんにちは。いつもありがとうございます。

香港は今では底上げも進み以前よりは貧富の差は少なくなっていると思います。
歩いてみると特に中心部の経済成長ぶりには驚かされます。

人も優しくモラル面も良いと感じました。
よんちゃま!
2011年05月09日 17:32
香港って「地震」が 無いですかね? 日本では・・・とても考えられない話ですよね!でも・・・あの「構造計算操作」を したビルより・・・丈夫だったりして!?
で・・・そうなんですよね・・「九龍城」・・・今は無いですよね・・・・で・・「新婚旅行の新妻が・・・」の話は・・・ここでの話だったのですね!(ヨーロッパの方の話だと・・・思っていました! 以前お客さんから聞いた話ですが・・・場所を憶えていなかったので・・・)
2011年05月10日 06:55
よんちゃま!さん
こんにちは。

偶々今回紹介したネタで疑問が解けた様で嬉しいです。
私のブログでも役に立つときがあるのですね。

励みになります。
ターコ
2011年05月14日 23:27
震災の影響で、建物や夜景をみると、地震の時は大丈夫なのか、原発は多いのかが気になりますが、やっぱりそのビル、地震があったら怖いでしょうね。 香港は人も優しくモラルもいいのですか~。なんだか危険で治安も良くないイメージでしたが、実際は違うんですね。
2011年05月16日 20:55
ターコさん
こんにちは。

今の香港は一昔前とは全く違うと思いますよ。
もし偏見があるのでしたら、一度でも実際現地に行かれる事をお薦めさせて頂きます。

但しツアーではなく、自己プランニングでね。
S子
2011年05月18日 09:44
セントラルの有る香港島の方は、今も昔もそれほど変わっていないのではと思います。何しろ有数の金融の街ですからね。その頃の車の給油は、もうセルフサービスでしたから…
城壁内も見学しました。何も買わないことと言う子供の指示で、財布を出しませんでしたが、日本兵の軍票などや鉄兜を並べて売っているのを見ました。国境には、警備兵が立っているのも見えました。今は国境はないはずですね。
住宅街のビルは20階建て、30階建てで、敷地内に車を入れるのには、門番が居て開けて呉れました。パーキングには、高級外車がずらり~~玄関はもちろん二重扉です。こちらの方はイギリス人や日本人、中国の富裕層の住宅です。
なにしろ土地がないので、広東語のみを話すような人は、崖のようなところの掘っ立て小屋でした。そんな人たちがみんな優しいのです。
懐かしい昔を思い浮かべさせて頂きありがとうございました。
追、その頃、アグネスチャンのお姉さんが、セントラルで小児科医をしていましたね。孫たちがお世話になりました。
S子
2011年05月18日 10:01
度々御免なさい。
今地図を見て、すべて広東語で、驚きました。当然のことですよね。カオルーン、セントラル、ビクトリアベイなどと書かれていませんね。その頃は、ビルの名前も街の名前もすべて英語でしたから…

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