滋賀県近江八幡市 part1 安土城址 『灰燼に帰した魔城』

画像


先日の6月5日に開かれた『2011あづち信長まつり』で鉄砲隊の火縄銃が爆発し男性一人が火傷を負ったというニュースを見ました。男性の方大丈夫でしたでしょうか。

このニュースをきっかけに安土に関する文献を読み返していたら、気になるエピソードが幾つか出てきました。
そこで先日散歩がてらに登城して撮影してきた『安土城址』の写真と共に僭越ながら紹介させて頂きたいと思います。

画像


時は戦国時代イエズス会宣教師ルイス・フロイスも「ヨーロッパのどの城よりも豪華でスケールが大きい」と驚愕したと書き記した天下の名城『安土城』。

↓ルイス・フロイスの記録について知りたい方はこちらの文献を参考にして下さい。
完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変?織田信長篇(3) (中公文庫)
中央公論新社
ルイス フロイス

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変?織田信長篇(3) (中公文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


絶対的な威容を放ちながら存在するも完成から僅か3年で忽然とその姿を消した名城には多くの謎が残っています。
今回はその幾つかの謎をちょっと紹介しますね。

画像


天正4(1576)年、天下統一間近となった織田信長は、何れ全国の諸将らに号令する事を意識しており、居城である岐阜城から自己の勢力圏の中心となる場所に本拠を移転するべきだと考えていました。

そして「如何なる寺よりも巨大でキリシタンですら平伏す程の威容を放つ城を」との思想を元に、京に程近い近江国琵琶湖畔にある標高約200mの安土山に目を付け築城を開始します。

画像


【補足】
織田信長は宣教師からピラミッドバベルの塔、そしてキリスト教イスラムの大聖堂といった権威の象徴である建物の話を聞いていました。

その為安土城の様な、数十里先からも万人が見る事のできる『天下布武』の象徴である天主閣を中心とした壮麗な城の構想が生まれたと云われています。

【補足】
通常は天守閣と表記されますが、こと安土城に関しては天主閣と呼ばれていますので、今回は天主閣で統一しております。

画像


総奉行には丹羽長秀を指名し、名工と呼ばれる者を集めて大規模且つ当時の常識を遥かに凌ぐその早い築城工事は『天下普請(てんかぶしん)』と呼ばれました。

そんな折織田信長自らが築城の音頭をとっていた日に事故が起こります。

画像

『信長公記』によると『蛇石』といわれる巨石を1万人以上で天守閣に運んでいたところ、何と150人もの人夫が不慮の事故でこの巨石の下敷きになったと記されています。

しかし信長はこのとき大事故発生にも関わらずに工事を継続させ、3日3晩かけてこの『蛇石』を頂上へ運ばせたとされています。

画像


そして築城開始から6年の歳月を掛け、安土城は完成を迎えます。
その天主閣の威容は『魔王の城』という名に相応しい空前絶後のものでした。

画像


しかしその完成から3年後、織田家の長年の宿敵であった武田家をも滅ぼし、この城を本拠に天下取りがいよいよ秒読み段階になった折に悲劇が訪れます。

織田信長が『本能寺の変』で明智光秀に討たれこの世を去ったのです。

画像


主を失った安土城は信長を討った明智勢によって接収されましたが、続く『山崎の戦い』で明智光秀が羽柴秀吉に敗れると、安土城を預かっていた娘婿の明智光春明智秀満)も慌てて退去することになります。

その後、この無人になった安土城には織田信長の次男である織田信雄が入城したのでした。

画像


【補足】
明智光春は安土城に入城した折に莫大な金銀を接取し、明智光秀の天下取りの為に送っています。
そして明智光秀はこの金銀の内、2万両を時の朝廷に、南禅寺他9寺に各7千両を献納しています。

画像


しかし、このとき安土城内より火の手が上がりました。

出火は1582年6月14日から15日頃にかけてだと推定されていますが、その原因については諸説あり、実は現在でもはっきりとはしていません。

画像


『日本西教史』やイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、この出火は織田信勝の放火であると述べており、その書簡では明智光春が去った後の6月15日に出火しているのであれば、亡き父である織田信長の城を敵に奪われる事を恐れた織田信勝が放火した可能性は十分にあるとしています。

画像


しかし安土城出火の際、織田信勝は未だ伊勢にいたとする説もあり、更にその動機も曖昧で且つ証拠も不十分です。

【補足】
放火の犯人としては他に、退却時の明智光春や恩賞・略奪目当ての土着民とする説があり、奇説としては安土の城下町の火災が延焼したとするものもあります。

画像


何れにせよこの火災によって天主閣や御殿を始めとして安土城内の建物は全て灰になったことは事実です。
安土城は完成から僅か3年という短さで廃城を余儀なくされたのでした。

画像


【補足】
先に築城時の巨大な城石『蛇石』の話しを書きましたが、安土城が全焼した後この巨石は忽然と姿を消しています。
此れ程の巨石であれば仮に山が全焼したとしても残っていて不思議はないと思われますが、天主閣跡のその後の発掘調査に於いても発見されていないのです。

↓『安土城』発掘調査の記録について知りたい方はこちらを参考下さい。
信長の夢「安土城」発掘 (NHKスペシャルセレクション)
日本放送出版協会
辻 泰明

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 信長の夢「安土城」発掘 (NHKスペシャルセレクション) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


画像


そして廃城後暫く経過した後、ある噂が城下に立ちます。

それは「安土山中に莫大な埋蔵金が眠っている」というものでした。

画像


発端は明智光秀が羽柴秀吉に『山崎の戦い』で早々に破れてしまったため、明智光春が接取した金銀が使い切れなかったと見られたのです。

この噂を聞きつけた浪人らが天主閣の焼け跡を探すとなんとそこから焼けた小判が出てきました。
故に浪人らは更に掘り起こそうと仮小屋を建て待機します。

画像


するとその日の夜半に、突然騎馬が駆ける物音が上がり、続いて凄まじい雄叫びが聞こえたのでした。

驚いて小屋から出ると、数十人の侍が武器を振り翳し向かってきました。
浪人らはこれに応戦しましたが手応えはなく、無我夢中で斬り合う内に同士討ちで死者すら出る事態に発展します。

画像


その内の1人が必死にその場を逃れることに成功し、麓の民家で事情を説明しましたが、その浪人は話しの途中で息絶えたのでした。

その後も埋蔵金の噂は無くならず、金欲しさに山に入るものが出ましたが、織田信長の怨霊からか謎の死を遂げる者が続出します。

画像


そのためこの話しを聞きつけた羽柴秀吉が入山を禁じ、天主閣近くに織田信長を弔う廟を建てました。

画像


するとそれまで頻発していた死者が出なくなったのでした。

天下統一目前で倒れた織田信長の悲痛な叫びだったと捉えられても不思議ではない逸話です。

画像


------------------------------------------------------
安土城址

住所:〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
電話:0748-46-7049(安土町観光協会)
料金:大人500円,小人100円、幼児無料
時間:09:00~16:00(季節によって変動あり)
休日:無休
交通:JR東海道本線『安土駅』下車徒歩20分
------------------------------------------------------

画像







【参考文献】
『戦国100名城』オフィス五稜郭(株式会社双葉社)
『暗黒の日本史』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『流血の歴史ミステリー日本の城』結城凛(株式会社ダイアプレス)
『日本の名城99の謎』歴史ミステリー研究会(株式会社 彩図社)




安土往還記 (新潮文庫)
新潮社
辻 邦生

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 安土往還記 (新潮文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

織田信長の偉業を象徴する幻の城「安土城」が蘇る…『木造建築模型1/150安土城』
毎日が元気
戦国武将織田信長の天下統一事業の象徴である「安土城」。430年前の建築技術の粋を集めた建造物だ。安土

楽天市場 by 織田信長の偉業を象徴する幻の城「安土城」が蘇る…『木造建築模型1/150安土城』 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 15

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

よんちゃま!
2011年06月27日 05:52
「石のうえにも3年」と 言いますが・・・・(違う意味ですね!)3年で「廃城」だったのですね!(信長自体が・・・いないのだから・・・しかたがないか・・・・)
で・・・・「石」は・・・いずこに・・・?
2011年06月27日 06:29
よんちゃま!さん
こんにちは。

そうですね。悲しい運命だったと言わざるを得ないでしょう。

蛇石は元々なかったのか、落下したのか、砕けたのか?ミステリーなのです。。。
beetle
2011年06月27日 08:26
魔王の城とは良く言ったものですね!
しかし築後3年で無くなるとは悲運の名城ですね。
写真とか図面を見たいものですね!
文化財の価値を施主以外は解らないものなんでしょうか?残念です!
昔も今も本当の価値が解る人は少ないのでしょうね?
どっかの国の首相も何も理解出来てませんが、言うことだけは良く知っている!(蛇足でした)
2011年06月27日 12:38
高々四百何十年の昔の事なのに、謎が多いのですね。甲府城などもその一つです。恐らくその後に(山城ではありませんので)建てられたものと思いますが…
近年、少しずつ全容が解明され始めていますが、今の城址より、かなり広域なものだったと言われているようです。なにしろお城のど真ん中を中央線が通っている現状です。発掘調査などが進んで、(文献なども少ないので大変なようです)解明される日を待っているのですが…
2011年06月27日 18:03
beetleさん
こんにちは。

写真で見るのと実際行くのは違いますから。
できたら自分の目で見られる事をお薦めします。

朽ち果てた名城というのもなかなか趣がありますよ。長野の高遠城のように・・・

次は隣の観音寺城にでも登ってきますね。
2011年06月27日 18:11
S子さん
いつもありがとうございます。

その謎の多さに浪漫を感じてしまいますので、それはそれで良いものですよ。

甲府城は1度しか訪れたことがありません。
機会を見つけて今度ゆっくり散策してみますね。
とくめいx
2014年12月31日 20:29
そのいかがわしきお城はこの日本の歴史からしばらく葬られた!
恐怖の意味・おそるべき建物安土城・バベルの塔の存在は、意味がわからない人には荘厳で派手でありなぜ、歴史から存在がなくなったのか疑問であるが、織田信長の存在と、建物の存在をリンクさせ、その恐るべき真意をしることでなぜ、葬られてしまったかわかるのです。
 私たちの先輩である当時の人々も馬鹿ではないのです。恐怖の館の復活は許されないのです。今は、図面だけで、画像として復活できるのですが、そこまでです。
日本のバベルの塔は、燃やされて当然であったのでしょう。天主閣がキリスト・釈迦の図(世界)より上に作られておりその世界をも支配しようという考えである。まさに天魔でしょう。魂までも自分の支配下に置くという恐ろしい考えの具現化の安土城である。

この記事へのトラックバック