東京都台東区 part6 日蓮宗長昌山大雄寺 『奇跡とその軌跡』

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今の民主党菅内閣自民党政権時代を含めここ数年ずっとの様な気もしますが・・・)は当に『泥舟』といった状況が続いていますが、激動の幕末に自らを『泥舟』と名乗っていた英雄をご存知でしょうか。今回は槍の名手として知られる『高橋泥舟(たかはしでいしゅう)』の生涯を軸に、後に『幕末の三舟』と呼ばれる『高橋泥舟』『山岡鉄舟』『勝海舟』の三人が生んだ奇跡を紹介します。

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天保6(1836)年、後に幕末の槍の名手と呼ばれることになる『高橋泥舟』は、槍の忍心流の名家である旗本の山岡正業の次男として、江戸で生を享けます。

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泥舟の幼少時の名は謙三郎(後に精一郎)といい、兄である山岡静山について槍術の修行を行っていましたが、母方である高橋家の養子となりました。

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しかし実家の山岡家の長兄が亡くなると、泥舟と共に槍の修行をしていた鉄舟が、泥舟の代わりに山岡家の妹婿となり世を凌ぐことになります。

この鉄舟こそ、後に泥舟らと共に『幕末の三舟』と呼ばれることになる『山岡鉄舟』です。

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【補足】
山岡鉄舟はこの時期相当な苦労を強いられていたと云われています。
それはボロ鉄と揶揄されるなど衣服にも苦労する程でした。

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さて泥舟が22歳となった1856年、幕府が外圧に備えようと講武所を設立すると、泥舟はそれに入り天性の才と努力で次第に頭角を現し、この講武所の槍術教授となります。

そして25歳になると講武所の槍術師範役となりました。

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【補足】
講武所は旗本の師弟と諸藩士らに剣を始め槍や砲術を指導する武道の鍛錬所で、江戸の腕自慢が集う場所でした。
この講武所には山岡鉄舟も18歳で入り、その強さと稽古の荒さから一目置かれ、21歳で世話役となっています。

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剛直で一本気の泥舟は人物としても高く評価されており、1863年浪士組取扱に選抜され、従五位下の伊勢守に任じられます。

この選抜された浪士組は『清河八郎』の画策により上洛することになり、義弟の山岡鉄舟もその浪士組の取締役に就任します。

しかしこの浪士組は上洛後に混乱をきたし、泥舟は鉄舟と共にその責任を負う憂き目に遭います。

【補足】
因みにこの『清河八郎』が画策した浪士組は、有名な『新選組』誕生のきっかけとなる存在です。

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やがて混乱する幕末の情勢の中で、暫く活躍の場が見出せず幽閉状態にあった泥舟は、幕府から突如呼び出されることになります。

そして慶応2(1866)年、講武所から『遊撃隊』が誕生すると、泥舟はその頭取と槍術教授を兼任することになりました。

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続く1867年『大政奉還』を経て、翌1868年には『鳥羽伏見の戦い』が勃発します。

泥舟は率いた『遊撃隊』を残して江戸へ戻り、上野寛永寺にて徳川慶喜の警護にあたりました。

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ここで泥舟は徳川慶喜から絶大な信頼を得ます。

そして『鳥羽伏見の戦い』で幕府が敗北すると、この泥舟の説得により徳川慶喜は官軍に恭順し、謹慎することになります。

このとき官軍は江戸総攻撃を目標に既に駿府まで迫っていました。

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官軍総帥『西郷隆盛』への使者として徳川慶喜から全権を委ねられていた幕府陸軍総裁『勝海舟』は、この調停役に泥舟を選びます。

しかし、泥舟は「主君徳川慶喜公の傍を離れることはできない」と代わりに義兄弟の山岡鉄舟を推薦します。

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【補足】
そして山岡鉄舟は勝海舟から西郷隆盛に宛てた手紙を携えて薩摩藩士『益満休之助』を連れ、謹慎する徳川慶喜の本意を伝えるとともに、江戸総攻撃を回避するよう駿府で西郷隆盛に単身交渉を行っています。

このとき山岡鉄舟は、官軍陣営に向かって「朝敵徳川慶喜家臣、山岡鉄太郎急用あってまかり通る」と、大声で官軍本陣に乗り込み、官軍諸兵はその気迫に押され誰も手出しができなかったと云われています。

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やがて山岡鉄舟は西郷隆盛の元に辿り着くと、至誠の態度で交渉に臨みました。

この下交渉が実を結び、後に江戸での有名な勝海舟と西郷隆盛の会見が実現することになります。

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そして、この歴史的な会見により幕末は世界でも類を見ない江戸城無血開城という奇跡の和平へと繋がるのです。

江戸が戦火を免れたのは、『勝海舟』『西郷隆盛』ばかりが取り上げられがちで有名ですが、実はこの幕末の三舟の連携の賜物と言えます。

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【補足】
その後新政府が廃藩置県を行うと、泥舟は江戸へ戻り書を嗜み骨董品の鑑定などをして静かに穏棲します。

そして明治36(1903)年、69歳の天寿を全うしこの世を去ったのでした。

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現在泥舟の墓は谷中日蓮宗長昌山大雄寺にあり、ここで静かに眠り太平の世を見つめています。

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日蓮宗長昌山大雄寺

住所:〒110-0001 東京都台東区谷中6-1-26
電話:03-3821-1523
見学:自由
交通:JR『日暮里』駅下車徒歩約10分
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【参考文献】
『「幕末の志士」がよくわかる本』山村竜也(PHP研究所)
『日本の剣豪100人伝』歴史群像編集部(株式会社学習研究所)

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この記事へのコメント

サプリメント管理士
2011年08月11日 00:06
む、難しいけど、なんとか読み終えました(@@;)
勝海舟、山岡鉄舟の名前はよく聞きますが
高橋泥舟という方の存在は初めて知りました。
何とも数奇な運命を辿られた方なのですね。。。
晩年は静かに過ごされたとの事、
その胸の内に去来するものは、どんな出来事だったのでしょうね。
beetle
2011年08月12日 08:02
泥舟さんと鉄舟さん海舟さんと凄い役者が揃いましたね。
幕末と維新の時代は日本がゆいつ誇れる時代でした!
今の菅政権も8月で終わり一安心ですが余りにも醜態をみせ過ぎました。
やはりこれと言った信用厚き腹心がいなかったのか、周囲を信用できない裸の王様だったのか、悲しい限りです。
2011年08月15日 21:47
サプリメント管理士さん
こんにちは。

高橋泥舟は偉人なのですが、意外と知られていないんですよね。杉原千畝さんみたいに。

もっとドラマ等でクローズアップしてほしい存在です。

しかし、現在の平和な日本を暖かく見つめていらっしゃると思いますよ。
2011年08月15日 21:51
beetleさん
こんにちは。

今回はビックネーム3人を大盤振る舞いで出してみました。
また機会があれば今回の様なパターンでネタを書いてみようと思います。

さて菅政権は終わりを迎えますが、根本的な現在の体制を変えなければ、今までの様にただの首の差し替えだけに終わってしまいます。

私は大連立に期待しますね。
2011年08月16日 16:40
ゆうじさん
はじめまして!フレンド申請ありがとうございました。
ブログ拝見させて頂きましたが内容が濃くて読み応えがありますね(^^)
今後とも宜しくお願いします。
2011年08月18日 21:02
Bandmasterさん
コメントありがとうございます。

こちらこそ承認ありがとうございます。
最近は興味のある分野をちょっと掘り下げて紹介するようにしているので、取っ付き難い回も多々あると思います。

そのときはお手数ですが、選択して読んで頂けると嬉しいです。
2011年08月28日 19:00
暑さにすっかり怠けてしまい、ご無沙汰お許しください。
前に何度かお邪魔させて戴いたのですが…
何と知らない事ばかり、新鮮な思いで拝見していました。
若い頃、駒形に下宿していたのですが、日暮里、千住などの名前は聞いていますが、行ったことはありません。懐かしく、地図を見ましたが、今は何も解らないほど変わって居るでしょうね。
山岡鉄舟の側面など、本当に知りませんでした。大雄寺なども知りません。
これからもいろんなことを教えて下さいね。
2011年08月28日 20:32
S子さん
こんにちは。

いえいえ、訪問は時間のあるときにもし宜しかったらで構いませんので、これからも宜しくお願い致します。

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