マカオ(Macau) part1 澳門林則徐記念館 『アヘン戦争と三角貿易』
今年はフォークランド(マルビナス)紛争







18世紀末のイギリスは、世界に先駆けて




【補足】
イギリスでは17世紀以降、嗜好品


因みにイギリスのアジア貿易を引き受けていたイギリス東インド会社の総輸入量の約4割が茶という程


イギリスは高値で取引されていた茶を初めとして絹や陶磁器を手に入れる様と清に自由貿易を求めましたが、当時の清は中華思想が根強く、また『公行(コホン)』と呼ばれる特許商人が対外貿易を



【補足】
中華思想とは中国が世界の中心であり周辺諸国よりも文化や思想が優れていると自負する考え方のことです。

『民族至上主義』や日本で有名な韓国の『韓国起源説』等にも通じる部分があります。

当時のイギリスは産業革命こそ成功してはいましたが、清に売るものはありませんでした。

またイギリス政府が茶の密輸防止の為に関税と引き下げたこともあって対清貿易赤字は増える


そこで、イギリスはこの事態を解消すべく知恵を絞ります。

そして先ず自国の綿製品を既に植民地化していたインドへ運んで売り



【補足】
イギリス側は清に貿易制限の撤廃を求めていましたが、清ははなから対等の立場での交渉を考えておらず、これを拒み続け、茶の代金を銀で払い続けていたイギリスは、これ以上の銀の流出を防ぐ為に、銀を清から奪い返す方法としてアヘンの密輸を行う『三角貿易』をせざるを得なかったのです。


アヘンは




そして何時しか貿易量が逆転してしまい



国内の健康被害はもとより社会不安をもきたす事態となり、官僚政治の腐敗や賄賂の横行と「このままでは国が滅ぶ」

清の官僚の中には「流通するアヘンに課税して容認すべき」との意見も多数ありましたが、その中で徹底的な厳禁論を展開する人物がいました。

それは欽差大臣(特命全権大使)に任命され当時アヘンの流入地だった広東に赴いた役人『林則徐』。

1839年この『林則徐』を筆頭に、清はアヘン没収と廃棄に乗り出します。


『林則徐』はアヘン2万箱を没収して焼却し、「今後アヘン貿易をしないという誓約を交わさない限り一切貿易を許可しない

この清の行為にイギリス側は怒って


『アヘン戦争(1840~1842年)』の勃発です。
この戦争にはイギリス国内からも反対の声が挙がりましたが、イギリス側はインドから軍艦16隻,大砲540門,艦船32隻,

予めイギリスの攻撃を予測していた『林則徐』は正規軍を強化して沿岸の防備を固めていましたが、清側の軍備は旧式なものでしかなくイギリス軍の敵ではありませんでした。
そこで戦争によって局面打破はできないと判断した清政府は素早く『林則徐』を罷免し

この対応で一時的に戦闘は中断されたものの『林則徐』の後任はイギリスの香港占拠を機に失脚し、外交政策は失敗します。

イギリス軍はその後も廈門,上海等を陥落させると終に南京にまで迫り、『アヘン戦争』は近代装備を配したイギリスの圧勝に終わったのです。

そして1842年、長江上のイギリス旗艦『コーンウォリス号』甲板で、イギリスは不平等な『南京条約』を結ばせました。


【補足】
『南京条約』は1842年にイギリスが香港の割譲や広州を初めとする上海,寧波,福州,廈門の5港の開港と公行廃止そして廃棄したアヘンの代金を含めて2100万ドルという

翌1843年には治外法権や関税自主権の放棄等を含む不平等条約を追加条約を清に結ばせました。

清はイギリスの賠償金支払いの為に増税せざるを得ない状態となり、これが庶民の暮らしを

この庶民の不満は『太平天国の乱


しかし、この『太平天国の乱


この結果が後の第二次アヘン戦争と呼ばれる1856~1860年の『アロー戦争


『林則徐』の徹底排除行為は、その後の清の植民地化を促進させてしまったかもしれませんが、その行動は賞賛に値するものでした。


澳門の蓮峰廟境内に彼の業績を記念した『澳門林則徐記念館』が立っています。
カジノ


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澳門林則徐記念館(蓮峰廟境内)
住所:澳門提督馬路東端(Avenida do Almirante Lacerda, Macau)
電話:853-2855-0166
時間:9:00~17:00
見学:5パタカ(MOP)
休み:月曜日
交通:セドナ広場から車で20分
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【参考文献】
『ララチッタ マカオ』丑山考枝(JTBパブリッシング)
『知っておきたい歴史の常識 日本と世界の「近現代史」がこの一冊でわかる!』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『この一冊で日本史と世界史が面白いほどわかる!』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『世界史の舞台裏』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『図説 この「戦い」が世界史を変えた』水村光男(株式会社青春出版社)
この記事へのコメント
時代も、内容も、面白く読ませて戴きました。
こんにちは。
訪問ありがとうございます。
今回は受験生勉強にも活用できる様にエピソードを省いて、教科書風に書いてみました。
そのためちょっと硬い内容になっていますが、楽しんで頂きありがとうございました。
お久しぶりです。
私も中学校で習ったきりでしたので、遠い記憶の彼方でした。
あらためて自分で調べると全然見方が変わってきますね。今回良く分かりました。
自分が受験生のとき書けば良かったかな?
P.S
絵文字褒めて頂きありがとうです。
受験生にちょっとでも楽しめる様にしてみました。。。
しかしこのアヘン戦争がきっかけで日本が海外の侵略をさけ明治維新がなされました、清国には申し訳ありませんが今では感謝してます。
中華思想は昔からあったのですね、清までは解りますが文化大革命からの中国にその思想はどうでしょうか?
こんにちは。
お久しぶりです。
日本が外敵からの侵略を防いで、明治維新を迎えられた理由は、言われる様に清国の犠牲が大きな要因の一つだと思います。
他にも江戸時代に伴天連追放して、プロテスタントのみと付き合い鎖国を行って国力を温存した徳川家の功績なども大きく評価できると思います。
中華思想は自国の勝手だと思いますが、成功しているとは言えず争いを多く生んでいるので、あまり良い思想ではないのでしょうね。改めるべきだと思います。