フィレンツェ(Firenze) part1 オルサンミケーレ教会 『危ない流行』
毎年恒例となっているユーキャン流行語大賞。昨年は大ブレイクしたお笑い芸人のスギちゃんが大賞を受賞し、明るい話題となりましたね。さて、流行には流行語の他に色やファッション等様々なものがありますが、あまり流行ってほしくないものも中にはあります。今回は中世ヨーロッパで大流行し人々を震撼させた『ペスト』に纏わる話を紹介します。
ヨーロッパで古い歴史を持つ街を歩いていると時折広場や教会などで『ペスト記念碑』や『ペスト記念塔』というペストの終息を願い多数の死者の霊を慰める為に建てられた史跡を見ることがあります。
この『ペスト』がヨーロッパを襲ったのは14世紀から。
『ペスト』は別名『黒死病』と呼ばれる感染病で、感染者の体に黒色の斑点ができたり、死者の皮膚に黒ずみがみられ、その殆どを死に至らしめたと伝わる恐ろしい病気です。
このペストがヨーロッパ社会に及ぼした影響は測り知れません。
とりわけ14世紀半ばに大流行したときには、地中海沿岸、フランスからドイツ、イギリス、北欧へと広がっていきました。
そして、僅か4年あまりでヨーロッパ総人口のなんと3分の1以上の命を奪ったと云われています。
【補足】
この頃ペストの恐怖に脅える人々の間では「メメント・モリ(訳:自分がいつか必ず死ぬということを忘れるな)」という警句が流行しています。
このペストの流行の兆しが現れたのは、1346年と記録されています。
クリミア半島の黒海沿岸『カッファ』からイタリアにかけて発生しました。
そして1350年までにヨーロッパ全土に広がったのです。
人々は突然の発熱や腫瘍、嘔吐等の症状に襲われます。
そして一度発病すると早ければ数日の内に命を落したのでした。
それ故ヨーロッパの人々は対策をとる必要に迫られますが、明確な原因は分かりませんでした。
その不安から、中には「悪魔のせいだ」と主張する者も現れます。
彼らは悪魔払いを口実に病人諸共病気を封じ込めようと、病人のいる家があるとその家のドアを釘付けにし、更に死者が出た家を焼き払いました。
時には未だ生きている瀕死の病人を、家ごと焼いてしまう暴挙もあったとさえ云われています。
しかし感染を抑えることには繋がらず、死者は増加の一途を辿ります。
そして人々は未だ病魔に侵されていない街や村を求めてヨーロッパ各地に逃げ惑いました。
【補足】
一番早くに街を逃げ出す者にはなんと高位聖職者が多くみられました。
ローマ法王庁のあったアヴィニョンでは、枢機卿らがさっさと国を捨てて逃げています。
法王『クレメンス6世』は法王庁に残りましたが、犠牲者に身分の上下は関係なくアラゴン王妃『エレオノール』やカスティリア王『アルフォンソ11世』も犠牲となっています。
この間にもヨーロッパでは「1345年に彗星が見えた事が元凶」「水瓶座の木星と土星が結合したから」「汚染された大気による空気感染だ」等様々な噂が飛び交います。
やがて多くの人々は、驚くべき噂に耳を傾けて納得していくことになったのです。
それは異端の徒としてみられていたユダヤ人の仕業とするものでした。
当時の人々はこの恐ろしい病気がキリスト教社会にある筈がないと考えました。
そしてその矛先は異教徒であるユダヤ人に向けられていったのです。
ユダヤ人が井戸や泉に毒薬を入れたことが原因と広く信じられ、悲しいことにユダヤ人が暴徒に襲われたり焼き殺されるなどの虐殺が行われました。
この動きは南フランス、イベリア半島、ライン河沿岸の地方を中心に各地に広まり、犯人探しの拷問が行われたのです。
それ故不当な裁判で命を落とすユダヤ人も多く、その有様を描いた画も残っています。
【補足】
元々異教徒で金儲けの得意なユダヤ人に対する反感は根深いものがありました。
これはユダヤ教徒がイエス・キリストをローマ帝国に告訴し、銀貨30枚でイエスを売ったユダもユダヤ教徒であることが根本の原因です。
時は流れヨーロッパがキリスト教社会となり、各地で差別を受けたユダヤ人たちは、差別による職業制限がありました。
そのため高利貸しなどの忌み嫌われた職業を選ばざるを得なくなり、更に守銭奴と眼の敵にされていたのです。
その怒りを普段抑えていたキリスト教徒らは、ペスト流行の不安を契機に爆発させます。
そしてペストとユダヤ人を無理矢理結びつけることで、その怒りを発散させたのでした。
因みにこの虐殺行為は後にローマ法王の知るところとなります。
その際法王はユダヤ人への逆恨みを禁止し、法王領に逃げ込んだユダヤ人を保護する政策を行いました。
ペストの影響は都市や農村の社会構造まで変えました。
都市部は人口が集中している分被害も大きく、なんとイタリアのフィレンツェでは全人口の5分の3、ヴェネチアでは4分の3もの生命を奪ったとみられています。
その結果、がら空きとなった街に多くの余所者が住みつき、中世的な秩序が揺らぎぐことになります。
一方農村では労働者が減少したことで、皮肉にも農民の待遇改善が行われる切欠となりました。
農民の立場が向上すると、領主に対する不満を表し易くなり、それが理由で農民による一揆が増加してしまいます。
そこから中小の領主層や騎士経済的な基礎が崩れて封建的な社会は崩壊に向かったのです。
やがて欧州では王権が強化された国家が次々と誕生していくことになりました。
【補足】
百年戦争の時期に英国で起こった1358年の「ジャクリーの農民一揆」、フランスで起こった1381年の「ワット・タイラーの一揆」の背景にはこの様な農民の立場の変化が関係しています。
以上、ヨーロッパをこれだけパニックに陥れたペストの流行ですが、その流言だけが先行しています。
中世ヨーロッパでは猫は魔女の使いとして考えられていました。
現在はこのペストはネズミに因って媒介されたことが広く知られていますが、その猫を駆除したことが原因でネズミが増加し、ペストの媒介を促進させてしまったことは皮肉な結果だと思います。
後の研究で、河川付近で大量のネズミの死骸が確認されなかったこと。またネズミのスピードよりも早くペストが広まっていること等からノミやダニ等の媒介影響もあったのではないでしょうか。
何れにしても元々衛生状態の悪い当時のヨーロッパでは伝染病が蔓延する原因がたくさんあったことは否めず、不安や混乱故のデマの拡散が解決の遅延や多くの不明点を残したことは確かだと思います。
真相は現在も不明なのです。
今回取り上げたペストの被害が特に大きい都市としてイタリアのフィレンツェを挙げています。
このフィレンツェにはペスト終息を記念して建てられたオルカーニャ設計のオルサンミケーレ教会が現在も残っています。
華やかな街並みの散策の合間に訪れて歴史の事実を感じてみては如何でしょうか。
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オルサンミケーレ教会(Chiesa di Orsanmichele)
住所:Via dell'Arte della Lana, 50123 Firenze, Italy
電話: +39 055 284944
時間:月曜日を除く10:00-17:00
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【雑学】
人口統計の祖と云われているイギリスの『ジョン・グラント(1620~1674年)』は、『統計学の父』として有名です。
そのジョン・グラントが人口統計学に興味を持ったきっかけはペストで死亡する者があまりにも多いからだと云われています。
ジョン・グラントの生きた時代もペストによる死亡率は依然高いものがありました。
したがってジョン・グラントは行く先々でペストの死亡者を見かけていたと考えられます。
またロンドンでは既に1527年から死亡表が不定期に刊行されていました。
1592年以降、この死亡表には死因も記載される様になります。
1603年には週間死亡表も出版され、これらの死亡表は教会の庶務係から誰でも買うことができました。
この死亡表は単なる集計でしたが、ジョン・グラントはこれらの資料を分析しそこから読み取れる事実を考察することを考えます。
それに因ってジョン・グラントは様々な病気の死亡率や事故死の確率を導き出しました。
更にジョン・グラントは、人口統計学の元となる『寿命表』を発明します。
出生者総数の内、6歳まで生き延びた者から10歳おきに生存者数を表す表を作成したのです。
近代的な人口統計学の第一歩はペストの大流行から生まれた産物だったのです。
【参考文献】
『世界史の舞台裏』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『世界史の謎がズバリ!わかる本②』桐生操(株式会社青春出版社)
『世界史の謎がおもしろいほどわかる本』「歴史ミステリー」倶楽部(株式会社三笠書房)
『退屈しのぎの世界史びっくり本』歴史の謎を探る会[編](株式会社青春出版社)
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オンライン書店 BOOKFAN
著者池上英洋(著)出版社河出書房新社発行年月2007年11月ISBN9784309503356ページ
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この記事へのコメント
ペスト流行の記事大変興味深く拝見いたしました。
とても良く歴史の事をご存じで脱帽です。
これだけ知識があると旅が10倍も20倍も楽しめそうですね。
ペストはネズミが媒介することは良く知られていますが、詳細は医学が発達した現代もわからないことが多いとは知りませんでした。
水の都フィレンツェ、なんだかネズミも多そうですから特に流行したのでしょうね。
こんにちは。
ヨーロッパで魔女の使いとして考えられてた猫を駆除したため、ネズミが増えてペストの媒介を促進させてしまったことは皮肉な結果だと思います。
後の研究で、河川付近で大量のネズミの死骸が確認されなかったこと。またネズミのスピードよりも早くペストが広まっていること等からノミやダニ等の媒介影響もあったのではないでしょうか。
何れにしても元々衛生状態の悪い当時のヨーロッパでは伝染病が蔓延する原因がたくさんあったことは否めず、不安や混乱故のデマの拡散が解決の遅延や多くの不明点を残したことは確かだと思います。
そのような謎を考えるきっかけになる旅は楽しくてしょうがないですね。
お久しぶりです。
「世界ミステリー旅行」のような
ゆうじさんの記事は
いつも想像力を膨らましながら
読ませて頂いています。
いつの時代も色んな流行りもの(笑)
がありますが、科学の発展と共に
解明された今となっては
納得できるのは当然ですが
その時その時代に生きた人にとっては
その恐怖は如何に大きかったものか。
知らない。。。ということは
一つの恐怖ですものね。
今や、知り過ぎてしまう恐怖も
ありますけどね!^^;
こんにちは。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
知る恐怖と知らない恐怖どちらも怖いですが、原因不明で周りが次々と倒れていく状況は、とても言葉では表せられない程だったと思います。
「世界ミステリー旅行」と言って頂くのは恐縮しますが、これからも時折エピソードを披露していきますので、その時はまた読んでもらえると嬉しいです。