北京(Beijing) part1 『凸型の理由』

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経済成長著しい中国の首都『北京』。この街の中心部は戦後の中華人民共和国成立までは、映画『ラストエンペラー』の舞台でも有名な『紫禁城(故宮)』を中心とした『凸型』という珍しい形を形成した城壁で囲まれていました。

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この城壁はこの地が12世紀半ばに建国された『金(王朝)』の首都になってから四角い形で建設が始まっています。
その後『元(王朝)』の首都『大都』として機能していましたが、15世紀初頭に『朱元璋』がこれを陥落させ1368年に『明王朝』を成立させます。

この時朱元璋は『南京』を首都とし遷都しています。

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しかし『朱元璋』の甥にあたる『恵帝』が帝位を継ぐと、『朱元璋』第4子の『永楽帝』がこれを破り『南京』を占領して帝位につきます。

『永楽帝』は当時『北平』と呼ばれていた都を『北京』と改名し、更に元々あった宮殿を徹底的に破壊し『紫禁城』を造営して、1402年に再度遷都します。

この遷都の際に城壁は大規模に改築されましたが、形としては当初の四角のままでした。

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【補足】
周知の通り『北京』は今や中国の政治・文化等あらゆる中心地ですが、元々『春秋時代』は『』の国都で『時代』には『陪都』と呼ばれていました。

そしてその後は『金』『元』『明』『』のそれぞれ都となります。

しかし『辛亥革命』の翌年にあたる1912年元日に『中華民国』が成立すると、第一代大総統に『孫文』が就任、その後第二代総統に『袁世凱』が就任するとこの時『南京』にあった臨時政府が『北京』に移されます。

更に、1928年には再び『南京』に遷都されこの時『北京』は明王朝時の『北平』に改名されることになります。

ところが、1937年に『北平』が日本軍によって占領されると『北京』に戻されます。

1945年に日本が大東亜戦争に敗北すると『北京』は再び『北平』となりますが、後の1949年に中華人民共和国が成立すると。終に名称は現在の『北京』に落ち着きました。

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またこの明の時代にはそれまでの城壁南側に新たに城壁が増築されることになりました。
この時加えられた部分は以前の城壁とは区別して『外城』と呼ばれ、その結果2つの四角を重ね合わせた『凸型』の街となったのです。

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現在中心部に残っている『正陽門』は『北京』が『凸型』の街となる前の市街最南端で、この『正陽門』の脇には『明時代』の半ばまで高く厚い城壁が聳え立っていましたが、現在ではそれぞれ前門西大街と前門東大街という大通りとなっています。

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そして、嘗ての城壁跡地は今では広い環状道路と変貌し、地下には鉄道が走る道となりました。

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【雑学】
『北京』の名称については二転三転するという複雑な歴史があるため、現在でも『北京』という名称を認めない立場も根強く存在します。
その最もたる例として台湾の地図では、未だに『北京』は『北平』と表記されているのです。

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正陽門(前門)
住所:北京市東城区前門外大街北端
交通:地下鉄2号線「前門」駅下車徒歩約1分
電話:(010)65229384
時間:08:30~16:00(冬季9:00~16:00)
休日:無休
料金:20元
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【参考文献】
『地名でわかるおもしろ世界史』歴史の謎研究会(株式会社青春出版社)
『世界で一番おもしろい地図帳』おもしろ地理学会(株式会社青春出版社)

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↓北京の城壁と風俗についてもっと知りたい方はこちらの文献が参考になります。
北京風俗大全?城壁と胡同の市民生活誌
平凡社
羅 信耀

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